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飛行機100年物語

航空史100年の始まり

レオナルド・ダ・ビンチがスケッチしたグライダーが、アメリカ人の自転車屋の兄弟によって現実の物となった瞬間・・・1903年12月17日・・・人類は空での行動空間を手にすることが可能になりました。
彼等兄弟は決して天才ではなく、飛びたいという思いを強く持ち周囲の中傷にもめげず志を貫徹した大きな勝利といえるでしょう。しかし商業的には成功することなく表舞台から去ったのでした。発明家は偉大な存在ですが富には無縁の存在であることが多いのもまた事実でしょう。
彼等が自動車で成功したダイムラーやベンツのようにはなぜいかなかったのか?この大きな違いを生んだ要因は市場のニーズの存在と機械としての実用性のレベルの違いです。その観点から同じ移動手段としての航空機の歴史を自動車と比較して展開していきたいと思います。

 
2006/8/4 start

内燃機関の発明から乗り物の動力への道筋

左の写真の人物:ニコラウス・オットーが発明した4ストロークエンジンの特許が認められず他の者が自由に作れるようになり、ゴットリーブ・ダイムラーがヴェルヘルム・マイバッハの協力を得て走行機械の動力とするのに成功しました。その走行機械がダイムラー・ライディングカーです。そのニ輪式走行機械が作られたのは1885年のことで、単気筒、空冷、212cc、600rpmの出力0.5PSという性能のエンジンを搭載していました。このエンジンを設計したマイバッハは後に航空機用エンジンの製造会社を起こします。
もちろん世界初の飛行を成功させたライト兄弟も偉大なのですが、ガソリンエンジンの発明に大きく寄与したオットーとマイバッハの存在を忘れてはいけません。この偉大な挑戦者達がいたからこそ現代の航空機全盛の時代が到来したのです。
さて話しを自動車に戻すと、世界初の自動車として特許登録されたのはカール・ベンツが製作したベンツ・パテントモーターカーでした。同時期にダイムラーも4輪自動車を製造したのですが、少し完成が遅れたためその栄誉には浴しませんでした。それから15年後ダイムラー社がマイバッハの尽力によりダイムラー35PSを世に送り出します。そしてその車にはメルセデス(ダイムラー車のディーラーであったイエリネクの愛娘の名)名が与えられました。その後1926年ダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー・ベンツ社となりメルセデス・ベンツというブランドがこの世に誕生したのです。またマイバッハという人物もごく最近ダイムラー・ベンツ社から最高級車のブランドとしてこの世に送りだされました。
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左の写真がダイムラー・ライディングカーです。
二輪車に補助輪をつけオートバイとはちょっと違う構造にはなっていますが、見ただけではわかりません。最高速度は時速12kmで今の自転車よりも遅いかもしれませんが立派な動力付走行機械と呼べるものでしょう。実車はドイツのメルセデス・ベンツ博物館に展示されています。
これがダイムラー・モーターキャリッジです。
馬車に馬の替わりにエンジンを搭載したようなものです。ダイムラーさんには失礼かもしれませんが・・。およそ今の自動車とはかけ離れた代物です。単気筒、462cc、700rpmの出力1.1PS のエンジンで最高速度は時速16km。ドライバーが前席で乗客は後席に乗ります。

左の写真がベンツ・パテントカーです。
三輪車タイプで後部に水平にエンジンを配置しています。自動車として見た場合前述の2車に比べるとその完成度の高さが伺えます。単気筒、984cc、400rpmの出力0.9PS のエンジンで最高速度は時速16kmです。これもドイツのメルセデス・ベンツ博物館に展示されています。

次のページではライトフライヤーの逸話とヨーロッパで最初に飛行した航空機とその人物をご紹介いたします。